Sustainable
Tourism

自然からの恵みを
いただき、還していく。

鳥羽市鳥羽在住ケアシェル株式会社

山口慶子 / Keiko Yamaguchi

profile
鳥羽市生まれ。飲食店の勤務を経て、父親の事業を継ぎ、ケアシェルの普及に努める。 プライベートではNPO法人日本航海協会の活動に従事。

飲食業、観光業の経験から循環型社会を考える

鳥羽生まれの鳥羽育ちです。父の実家は山と川、母の実家は漁師町で海の目の前で民宿をしていました。小さな頃から両方を行き来していてどちらも大好きな場所でした。学生時代、名古屋に住んでいたことがありますが、たくさんの物や人で溢れていて刺激的ではあるものの、なんだか虚しいような、寂しい気持ちになり、自分には都会は向いていないのだと身をもって感じました。その後地元に戻り、医療事務の仕事に就きましたが、日々なんとなくこなしているだけのように思えて、鳥羽に新しくできたイタリアンレストランに転職しました。もともと人と関わることが好きで食べることにも興味もあり、どんどんのめり込んでいきました。最終的にはお店を任せてもらえるようになり、メニュー作りや調理もやるようになる中で、地元の魅力や食材をお客さまにもっと知ってもらえるように、自分の生まれた土地のことを勉強しました。そして父親が始めていた、牡蠣殻をリサイクルして天然の有機肥料にする処理施設、また、牡蠣殻の粉末を固形物にしてアサリや牡蠣の養殖基材にするという事業をもっと他の方にも知ってほしいと思い、継ぐことを決め、現在の仕事に就いています。

大量の牡蠣殻を、天然の有機肥料へ

父親は山奥深い自然豊かな宮川村の出身で、道や山の測量設計の専門職をしていました。母と結婚して鳥羽に移り住み、その専門職で鳥羽市の団体職員として働いていました。そんな中で、地元の漁師さんとも仲良くなり、牡蠣養殖で出る殻の処理に困っているという相談を受けました。廃棄物として処理するだけで良いのだろうか、もっと何か有効に活用する方法はないのか、いろいろと調べたところ有機肥料として活用できるということがわかりました。そこで計画書を市に提出し、今後の鳥羽市のためにこの事業を進めることにしたそうです。その後、平成10年に実施が決まり、「鳥羽かき殻加工センター」が建設されました。計画から設計まで携わっていたこともあり、父はセンター長を務めました。その後、早期退職をし、この肥料の販路拡大のために立ち上げたのがいまの会社です。肥料はたくさんの農家さんや個人の方が使ってくれています。

「ケアシェル」の誕生

この後に開発されたのが牡蠣殻の粉末を固形物に加工した「ケアシェル」です。きっかけとしては、毎年大量の牡蠣殻が漁業者から出ていること。また、養殖業者から牡蠣の不漁の相談も受け、「海のものは海に戻していかなければ海が痩せていくのではないか」と考えるようになったことで、海からとれたもので栄養剤になるものをと、開発しました。そんな中で、全国的にアサリが激減し続けているという事実も知りました。原因の一つには、砂浜の酸性化も大きく影響しているということです。ケアシェルに含まれているミネラルにはこの酸性化を中和する働きがあるので、環境に良い影響を与えることがわかっています。これをもとに、国立研究開発法人水産総合研究センター増養殖研究所の指導もいただき、鳥羽市浦村で何年も試験調査を行い、安心、安全な「国産アサリ」の採苗から出荷までの新たな養殖技術を実現することができました。

 

ケアシェルは牡蠣殻粉末と海由来の水酸化マグネシウムを混ぜて固形化しており、海から産出された資源を海に還すことで、海の環境改善にも役立っています。また、5~6年以上使用ができ、その間も効果が持続するという結果も得ています。ケアシェルでの養殖は、仕組みは単純で簡単ですが、やはり海、自然相手なので簡単にはいきません。海の恵みを末永くいただくには、採るだけではなく、守る、育てるという姿勢が欠かせません。二枚貝が増えると海の水もきれいになっていき、土壌も改善していきます。この減少しているアサリの復活をコツコツと地道に活動し、たくさんの方に知っていただき広がっていくことで、少しでも海の状態が良くなると考えていますので、ノウハウも惜しみなくお伝えし、どなたでも視察の受け入れをしています。だからどんどん聞いてほしいし、試してみてほしいです。

作業中の山口さん。ケアシェルの粒の大きさは用途に合わせて変えられる。

子どもたちの体験学習も

また、10年近く地域の小学生の体験学習にも協力しています。意外にも鳥羽の子どもたちは頻繁に海に行くわけではないんです。まずは自分たちの地域の海の現状を体感し、漁業との関わりを知ってもらえる機会になっていっているので大変喜ばれます。体験学習は年に3回あり、まずは春に子どもたちにアサリを見つける体験もしてもらいます。「昔はたくさん採れたんよ」と話しながら一緒に浜を掘ります。ほぼアサリは採れません。その後、その場所にケアシェルの入った網袋を設置します。秋にその網袋の中身を観察しに行きます。そうすると、そのケアシェルの入った袋に小さなアサリが入っているのです。多いところでは100個ほど確認されます。その時も、もう一度袋以外の所を掘って、アサリを探してもらうようにしています。どうして袋の中は育って、周りは育たないのか。子どもたちに考えてもらいます。最後に2月頃にみんなで採ったアサリを試食する、というのが一年通しての学習です。親や親戚、知り合いが牡蠣の養殖に携わっている子どもも多いので、その牡蠣殻がかたちを変えて活用されていることや、海のこと、地域のことが子どもたちの中で少しでも残ったらいいなと思います。

プライベートでは日本航海協会の活動も

そのほか、NPO法人日本航海協会の活動も行っています。きっかけは、志摩市にある三重県立水産高校に寄与された一隻のカヌーです。それはパラオ共和国が独立した際に、日本との友好の印にと贈られた貴重なものでした。初代のパラオの大統領はクニオ・ナカムラ氏で、お父さまが三重県伊勢市の出身の船大工でした。そのご縁もあり、三重県の地にこのカヌーがあったのです。そして、15年ほど経過したこのカヌーを偶然目にした日本航海協会の理事長が修繕を申し出て、宮崎県日向市に持ち帰り、三重県にお返しするというプロジェクトを立ち上げてくださいました。ただ還すのではなく、宮崎と三重の繋がりをと考えられたことから神武天皇が航海したとされるルートを辿り、カヌーの名前も「ツクヨミ」と名付け、三重県へと届けてくれているとのこと。この話を偶然、理事長との出会いで知ったのです。こんなに素晴らしい取り組みを他の県の方がされているのに、三重県にいるわたしが何もしないのはおかしいと思い、メンバーになりました。三重県も水産高校もパラオもこの取り組みに感銘してくださり、教育プログラムに取り入れていくという流れにまで進んでいます。

自然と共存し、自分らしく生きる

人間は数千年も前からコンパスやGPSなどを使わずに、星や風、雲、波など自然のサインを読みながら、海を渡ってきていたのです。自然はほんとうにたくさんのことを教えてくれますし、自分がここに生まれてきたこと、生かされていることを理解するきっかけにもなると思います。活動を通して、今までやってきたことに無駄なものなどなく、すべてがつながっているんだと、より思うようになりました。海のものを海に還すことも、星を見て航海をすることも、人、自然への畏敬の念を忘れずに、今後もつないでいけたらと思います。

2022/03/01

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