Sustainable
Tourism

海の恵みをもらうから、
守る。

鳥羽市石鏡町在住海女・フォトグラファー

大野愛子 / Aiko Ohno

profile
東京都出身。2015 年、三重県鳥羽市石鏡町にて募集していた地域おこし 協力隊の「海女」に応募。 2018 年の任期を終えたあとも定住し、海女 × フォトグラファーとして 活動している。

進路は海にまつわることがいい

「7 つの海のティコ」という船に乗って世界中を旅する物語に憧れたり、毎年夏は父親の実家がある千葉の海で泳いだりと、もともと海が大好きでした。高 3 で進路を決めるときに海洋生物学者になりたいと思って、海洋学部を進学先に選びます。座学は化学、物理、生物などを中心に興味深く学びましたが、実習がとても楽しくて、水族館に行って魚のエラが動く回数を測ったり、海藻を集めて標本を作ったり、着衣泳やサーフィンの授業があったり、実際に航海したりもしました。大学 4 年生のときはほぼ 1 年間、沖縄の西表島に滞在してサンゴの研究をしていました。

寿司チェーンの社員から、フォトグラファーへ

沖縄に行く前に、お寿司のチェーン店に就職は決まっていたんですよね。市場で魚を見たり、海外で買い付けをしたり、水産の知識を活かしてバイヤーができたらと思って。でも新規店舗を開店させる役割になって多忙を極めてしまい、海にもぜんぜん行けないし、いまいちどキャリアを考え直そうと思って2年目に退職しました。ここで出てきた選択肢がフォトグラファーです。父親がフォトグラファーだったこともあり、小さい頃から写真は身近で、大学時代もよく撮っていたので水中写真を勉強しようと思い、昼は料理写真のアシスタント、夜は写真の専門学校に通う生活がスタートしました。3 年経ったら自立する約束だったので、そこからブライダル業界、ファッション業界を経験し、料理、人物、ブツ撮りと、撮影の対象も広がっていきました。

人生を変えた「海女募集」

休日は海に行って、ダイビングやサップをしてそれなりに充実していましたが、漠然と40歳には田舎に移住したいなという思いはありました。定年後ではなくて、現役でバリバリ働けるうちに田舎で暮らすスキルをつけたいなと考えていて、ネットで情報を集めてて。でも農業系は結構多いんですけど、海系はあんまりないんですよね。そんなときに「地域おこし協力隊」を経て海女になった女性の記事を読んで、(これこそが探していたものだ!!!!!)とビビッときたんです。早速募集を探してみたら、ちょうど鳥羽市が募集していたのでもう行くしかないと思って。このときは鳥羽市で初めての地域おこし協力隊採用だったので、面接は1対12人(笑)。6人の応募者の中から、わたしともう一人が合格して、ふたりでの共同生活が始まりました。

海女デビューは突然に

最初の 1 ヶ月くらいは地域で挨拶まわりをしていましたが、ある日急に「じゃあきょう行くよ」となって、緊張しながら潜りました。素潜りは久しぶりだったのと、海藻で視界が揺れたり、波で身体が揺れたり、船酔いみたいな感じで初日は吐いてしまって洗礼受けてるなぁと(笑)。ちなみに共同生活している子は、とにかく海女になりたくてなりたくて、フリーダイバーをしたりと常に準備を整えていたというツワモノで、「何 m 潜れるの?」と聞いたら「25m」と言われて、びっくりしたのを覚えています。実際に彼女は初日から 10kg 以上穫っていましたが、わたしも 9.9kg だったので、デビューとしては上出来だった。サザエを 70~80 個穫ったと思います。

先輩海女に認められた

海女さんたちも、初日にそんなに穫れたらすごいと言ってくれました。同じ場所にある資源をそれぞれが穫って、それぞれの売上にするので、同じステージで戦うゲームのライバルみたいなところもあるし、正直人数が増えることは単純にウェルカムではなかったかもしれない。それでも穫れる場所や技術を教えてくれたりもしてもらいました。わたしももうひとりの彼女も、「海が好き、海女が好き」という思いは真剣だったので、だんだんそれが伝わって、2 年頃たったときには「任期が終わっても残ってよ」と言ってもらえるようになりました。実際に自分でもハマっていました。ここまできたら、職業としてずっとやっていきたい。海が好きだし、海女の仕事は面白い。
アワビを見つけて、うまく穫れたときはうれしいですよ~。アワビは見つけるのも大変ですし、上手く剥がすにもコツがあって。場所によっては無理だから諦めることもあるし、力が足りなくて貝が割れたりすることもある。だからきれいに穫れたら(やった!)と思います。

海女は、最先端の働き方ができる

いま一緒に潜っている海女メンバーは 8 人で、84 歳、83 歳、77 歳、63 歳、47 歳、42 歳(わたし)、38 歳と、28 歳の地域おこし協力隊のトレーニング中の子です。鳥羽市は日本一海女が多い街で、いま 600 人くらいいるのですが、10 年後には半分くらいになる気がするし、男性が増えていくのかなと。ただ、男性は体力も腕力もあるから、女性にはできない大きな石をひっくり返せたりができてしまうので、男性が潜り出すと磯が荒れ出すというのが心配です。海の恵みをいただくには海を守ることが何よりも大切なので、やっぱり女性の後継者を増やしたい。都会に出て働いている方に戻ってきてもらったり、地域の方が複業するのもいいと思う。わたしは年間に 10 ヶ月潜るガチ海女ですが、オフは写真も撮っていますし、47 歳の海女さんも、海女&小学校講師&旅館の女将&ピアノの先生‥といくつもの顔を持っています。ますます予測不能な時代になって、ひとつの会社の社員である意義も薄れてきたので、海女はある意味、最先端の働き方ができる職業かなと思います。

海の資源を守り続けるために

裸とか布一枚だけを巻いて潜っていた時代は、寒い時期は 30 分が限界という非常に過酷な仕事でした。でもウェットスーツができてからは格段に耐寒性があがって漁がラクになって、資源が急激に減ってしまった。それなのでいまは「口明け」という出漁日を決める制度や、潜水の日数制限、回数制限、時間制限など、たくさんの制限があります。特に寸足らずと言われる 10.6cm 以下のアワビや、蓋が 2.5cm以下のサザエを獲るのは絶対に NG で、獲る前に必ずスケールで測っています。10.6cm 以上のアワビは少なくとも 1 回以上の産卵を終えて子貝を残したアワビなのでそれだけが獲ってOKなものです。また、アワビの産卵期は11月頃なので、9/15~12/31は採捕できません。一時的にたくさん穫れたり売れたりしても、海が荒らされたり、資源が枯渇したら元も子もないですよね。持続性のある資源維持のやり方を守っていくことは、いちばん大事なことだと思います。

移住先を大切にしたい

鳥羽はネットワークが強くて、友達をひとり介したらもう街中の人とつながってしまう感じ。みんなびっくりするほど優しくて、親切で、嫌な人に会ったことはないです。魚とか野菜とかもバンバンくれて、いったい何日間もらいものだけで過ごせるのだろう?と数えてみたら普通に 10 日間は行けました(笑)。もちろん田舎なので、都会とは違う閉鎖的な部分もありますが、すべての基本になるのは「郷に従う」ということ。ここで東京のやり方を説いても何も意味がないので、縁のあった移住先を心から尊重して、これからも海女を続けていきたいです。

石鏡町で行われる共同ひじき漁
2021/11/10

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