海女の歴史

海女の起源となる縄文時代から現代の令和時代まで、鳥羽に受け継がれる歴史をたどります。

海女の起源

縄文ー弥生時代

3世紀以前

全国各地の貝塚からアワビやサザエの殻が出土しており、鳥羽では大築海(おおつくみ)貝塚や白浜遺跡で発見されました。また弥生時代に使用されたとみられる「鹿角製アワビオコシ」が白浜遺跡で出土しています。
先端に加工やこすれた跡があることがあることから、貝類を獲るために使用されたと考えられます。この時代に女性が潜水漁を行っていたことを示す文書の記録はありませんが、当時すでに従事していた可能性は十分考えられています。

提供:海の博物館

ピックアップ

海中の岩場にいるアワビをはが し取る道具。無理に力を入れると 傷がつき、また慎重に何度も触る と岩場から離れなくなるので、い かに素早く捕るか、海女さんの技術が重要になります。

海女の誕生

奈良 - 平安時代

志摩の国

平城宮跡から発掘された745年(天平17年)の木 簡に、志摩国名錐(波切)からアワビが送られた記 録があり、聖武天皇が在位する時代に税として納め ていたことがわかります。志摩の国は良質な食材を献納する「御食つ国(みけつくに)」だったとされています。

延喜式

平安時代中期に編纂された『延喜式」では海産物を お供えする"潜女(かづきめ)”が志摩国に約30 名いると書かれており、アワビを納めるかわりに、伊 勢の国税から衣服代などを与えられていました。海に潜り、海産物を獲って対価を得る様は、現在の海女と同様です。

枕草子

清少納言の「枕草子」では、船上の男性が縄 で海女を引き揚げる「フナド」漁について、 女性が苦しい大変な思いで海中に潜ってい るのに、男性は船を操縦し楽な仕事をするだけで嘆かわしいと記載されていました。

提供:奈良文化財研究所

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イソオケ(磯桶)

海中の岩場にいるアワビをはが し取る道具。無理に力を入れると 傷がつき、また慎重に何度も触る と岩場から離れなくなるので、い かに素早く捕るか、海女さんの技術が重要になります。

海女の活躍

平安時代後期 - 室町時代

国崎、二千年の献上伝承

中世の伊勢神宮関係文書に、海女の活躍をうかがわせる資料があります。鳥羽市国崎(くざき)では、毎年伊勢 神宮の儀式で神前に供える熨斗線(のしアワビ)を献上しています。伊勢神宮鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)に捧げる 食材を求めて各地を巡るなかで、国崎の鎧崎で湯責潜 女(ゆきのかづきめ)(地元では「おべん」という名前で あったと伝わる)という海女に出会い、国崎で獲れるアワビの美味しさに惹かれ、献上するように命じられたのが始まりとされ、今なおその伝統は続いています。

提供:海の博物館

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海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)

アワビを献上した「おべん」は現在、「潜女神」として海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)に祀られています。地 元の海女たちからは厚い信仰を受けており、漁期の始まる前に訪れて、漁の安全を祈願します。

海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)

海女の実態

江戸時代

浮世絵と輸出で知れる海女

この時代になると、実際に海女を描いた浮世絵などが数多く見られ、全国各地の名産品を紹介した「日本山海名産図会」 (1799年:寛政11年)では、伊勢線と題して、引き網を腰にくくりつけた鳥羽・志摩地方の海女の姿が描かれています。
伊勢神宮の御師が熨斗線を土産として全国へ配布し、中国(清の時代)へ向けて「物三品」(干し、煎海鼠(いりこ)、フカ ヒレ)が大量に輸出されるなど需要が高まったことにより、アワビの主要産地である志摩の国で活躍する海女の存在が、一層世に知れわっていきました。

日本山海名産図会(伊勢鰒)

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フンドウ(重り)

フナド海女が海中深く潜るための 重り。かつてはイシイカリなどと呼 ばれる石製のもの(栗型のものはクリイカリ)でしたが、次第に金属製 が普及していきました。カチド海女 は腰に巻くウエイトなどを付けて潜っています。

海女の進化

江戸時代

磯メガネの登場と禁制

1883年(明治16年)には「三重県水産説」の鮑漁蜑婦之図(あわびりょうあまのす)で、海女の姿が克明に描かれています。
時はまだ上半身が裸であり、海中でかける磯メガネも使用されていなかったようです。
後に真鍮(しんちゅう)や(すず)で作られた潜水用のメガネが 使われ始めますが、獲物が見えてよく獲れすぎたため、一部の漁村では一時的に使用禁止とされてしまうほどでした。

鮑漁蜑婦之図

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磯メガネ

明治中期から普及しはじめ、当初は 両目に別れたゴーグルのような2眼メガネが主流でしたが、顔への負 担が少なく、目と鼻も入れてフィットするタイプの1眼メガネに変わっていきました。近年では老眼や近眼タイプのものもあります。

海女の定着

大正 - 明治時代

白磯着からスーツへ

鳥羽・志摩では観光みやげとして、海女の写真を用いた絵葉書が販売されるようになり、観光やまちづくりの象徴となる存在になりました。 この頃から海女は、磯着といわれる白い木綿の装束を身にまとい始め、その後1960年(昭和35年)頃からようやく、現在で も使用される防寒性のあるゴム製ウエットスーツが普及していきました。

鮑漁蜑婦之図

ピックアップ

セーマン・ドーマン

鳥羽・志摩地方に伝わる魔除けで、手ぬぐ いや磯メガネなど海女用具全般に記され ています。格子状のドーマンは「多くの目 で魔物を見張る」「出入り口が多く、魔物が 入りにくい」という意味が、星形のセーマ ンは一筆書きで「魔物の入る余地がない」、 元の場所に戻ることから「無事に戻ってこ られるように」という意味があると言われています。

海女の現在

平成 - 令和時代

受け継がれる海女の技術

海女の暮らしに接する海女小屋体験は現在、観光名所として人気があり、その受け継がれた伝統や技術は全国に知れわたるものです。 2014年には「鳥羽・志摩の海女による伝統的素潜り漁技術」 が三重県無形民俗文化財に指定され、現在はユネスコ世界無形 文化遺産に登録する運動を韓国済洲道と共に展開中。今なお続く、日本が誇る文化遺産と言えるでしょう。

ピックアップ

ミキモト真珠島 海女の実演ショー

真珠の養殖を世界で初めて成功させた木本幸吉で有名な「ミキモト真 珠島」。潜水作業を行う白い磯着姿の 海女さんを間近で見られる全国唯一 の観光スポットです。鳥羽湾を見渡 せるスタンドから、磯桶を持って海 へ飛び込んでいく昔ながらの勇敢な姿をご覧になれます。

海女の実演ショー

今後も活躍していきます!